River Silk先生
 何かいいことがありそうな9月を迎えました。
 本メルマガは今月で第200号となります。
 これまで多くの皆様に支えていただきました。心から御礼申し上げます。
 第1号から16号までは猪瀬武則先生が,第17号から182号までは新井明先生が執筆されていました。この歴史を引き継ぎ、新しい経済教育の扉を開けることができるよう、丁寧な紙面作りを心がけたいと思います。それでは9月号のスタートです。今月も皆様の授業づくりに役立つ情報を発信していきます。
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【今月の内容】 今月は次の4つの内容をお届けします。
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【 1 】最新活動報告・・・2025年8月の活動報告です
【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
【 3 】授業のヒント…教師にとっての分業とは?
【 4 】授業で役立つ本…今月も授業づくりのヒントになる本を2冊紹介します。
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【1】最新活動報告・・・2025年8月の活動報告です
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■「先生のための夏休み経済教室」(大阪会場)を開催しました
日時:8月12日(火) 9:30~16:00 中学校対象 
    8月13日(水) 9:30~16:00 高等学校対象
会場:大阪取引所OSEホール(大阪証券取引所ビル) 
  ※ 報告は来月号に掲載する予定です。
■「先生のための夏休み経済教室」(東京会場)を開催しました
 日時:8月19日(火) 9:30~16:00  高等学校対象 
8月20日(水) 9:30~16:00  中学校対象
   会場:慶應義塾大学三田キャンパス 北館3階大会議室
※ 報告は来月号に掲載する予定です。
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【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
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■ 東京(No.146)部会を開催します。
  日時:9月13日(土)15時00分~17時00分
  会場:慶応義塾大学三田キャンパス+zoom
申し込み方法
  お申し込みはこちら
  https://econ-edu.net/application/event-application/

■ 大阪(No.95)部会を対面にて開催します。
  日時:2025年10月12日(日)15時00分~17時00分
  会場: 同志社大学大阪サテライト(予定)
申し込み方法
  お申し込みはこちら
https://econ-edu.net/application/event-application/

■ 札幌部会(No.34)を対面にて開催します。
  日時:2025年11月8日(土) 14時00分~17時30分
  場所:キャリアバンクセミナールーム  Sapporo55ビル5階(JR札幌駅紀伊国屋のビル)
  申し込み方法
  お申し込みはこちら
https://econ-edu.net/application/event-application/
                    よりフォームにてお申し込みください。
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【 4 】授業のヒント
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教師にとっての分業とは? 
                           執筆者 金子幹夫
1.充実した「夏休み経済教室」
 先月(2025年8月)、先生のための「夏休み経済教室」が開催されました。筆者は東京会場に参加しましたが、「あっという間に時間が経ってしまった」と感じるほど内容が充実していました。
 そこで、今月は「夏休み経済教室」を振り返りながら、先月号で考察した「教科書から少し離れたエピソードの再解釈」と関連させて考えてみたいという欲張ったテーマを設定しました。

2.今月の全体像
 本稿では、この欲張ったテーマを次のような順番で考えてみたいと思います。
 はじめに「夏休み経済教室」に参加する先生たちの授業づくりにはどのような背景があるのかを推測します。次に、その背景に対応して「夏休み経済教室」がどのような役割を期待されているのかを考えてみます。
 そしてその結果が「教科書から少し離れたエピソードの再解釈」に、どのように貢献するのかを検討していきます。キーワードは「分業」です。

3.授業づくりの背景
 さっそく、教師の授業づくりについて、その背景を推測することにします。
 言うまでもありませんが、教師は人間を相手にする仕事です。1人ひとりの人間はとても複雑です。この学習内容を、こんなふうに教えれば、どのようなタイプの学校でも教えることができるといった教材はありません。
 教師は、毎日会う生徒を想像しながら教材を作り続けます。興味深い実践例を入手した場合でも、そのまま使うことはせず、生徒に合わせた形に作りかえて実践します。場合によってはクラスごとに作りかえることもあるのです。
 教師は毎日、生徒分析、教材作成、授業実践、振り返りというサイクルを繰り返します。
この間に、教科や教育に関する文献を読んで知識を分厚くしようとしているわけです。授業づくりの背景を見ようとすると、いかに教師がたくさんの仕事をこなしているのかが伝わってきます。

4.マニュアルの通りにはならない仕事
 哲学者ショーン(元マサチューセッツ工科大学教授)は『専門家の知恵』(ゆみる出版2001年)で,「反省的実践家」という新しい専門家像を提唱しています。教師という専門家は、マニュアルどおりに教えるのではなく生徒の状況に応じて、柔軟に教え方を修正していく専門家だというのです。
 この『専門家の知恵』では、新しい専門家像として医師についても言及しています。患者さんも複雑です。アレルギーのあるなし、家族の病歴、嗜好品の好みは一人ひとり異なります。医師は医学書だけでなく、経験の中で得た知識を組み込んで適切な診断を試みる専門職というわけです。
 それって教師と似ていませんか? 一人ひとり異なる事情を持つ人間を相手にすること。そして毎日の経験を振り返り、知識として積み重ねることが適切な判断につながることがです。教育学の専門書を読んでも、目の前の生徒が抱えているトラブルに役立つ情報はみつかりません。
 医師と教師の仕事に関する枠組みが似ているのならば、あれもこれもと大変な学校の忙しさは、病院を参考にすることで解決の糸口が見つかるかもしれません。少し踏み込んでみたいと思います。

5.分業体制がちょっと違う?
 筆者は病院について詳しい知識は持っていません。外から見える風景から、仕事の枠組みを想像してみます。 
 医師は、患者さんに最も適している薬を選びます。この薬は、製薬会社がものすごい研究費と時間をかけて開発したものです。
 一方の教師の世界はどうでしょう? 教師は生徒に最も適している教材を作成します。この教材は、多くの場合、教師による手作りです。
 同じ専門職ではありますが、仕事の分担に違いがあるようです。医師は薬を開発することが(ほとんど)ありません。薬をつくるのは製薬会社です。一方で、教師は教材を開発します。目の前の複雑な生徒達に合わせて、学習内容を最も効果的に伝えるための教材づくりを考えているのです。
 両者は複雑な人間を相手にする専門家という点では同じですが、仕事をすすめていくための分業体制が異なるようです。

6.教材を創る手がかりは? 
 それでは、教育の世界も分業体制を再構築すればいいのにと指摘されてしまいそうです。しかしこの問題は、本稿が扱うには大きすぎる問題です。本コーナーが狙いを定めているのは明日の授業だからです。
 そこで今月号が発信するメッセージです。「夏休み経済教室」は、教師の世界における分業体制の一部だと受け止めてみてはいかがでしょうか。
 「夏休み経済教室」は、全国の教師が実践してきた教材を持ち寄って発表してくれます。授業づくりに役立つ専門的なお話しを研究者の先生がしてくれます。これもひとつの分業と捉えてみてはいかがでしょうか。
 
7.どうしてキーワードが「分業」なのか?
 「夏休み経済教室」で発表される授業実践は、検討に検討を重ね、大切に育ててきたものです。医療の世界で言うところの製薬会社による新薬の開発です。時間とコストをかけて創り上げた教材を実践し、生徒の反応まで発表してくれます。
 今年も大阪会場と東京会場で多くの授業実践が発表されました。受け止めた参加者の皆さんは、所属校の生徒に合わせた改造(微調整)を秋にかけて行うわけです。今月号のキーワードを「分業」にした理由はここにあります。

8.講演会から授業を創る
 「夏休み経済教室」では、今年も研究者の先生に貴重な講演をしていただきました。教科書や書籍では得ることのできないお話を受け止めた教師たちは、全国で教材づくりに取りかかります。
 全国で創られた教材の中から「このような教材をつくったのだけれど・・・」というお話があり、その教材を元に実践した経緯が未来の「経済教室」で発表されるのではないかと期待しています。これも「分業」です。

9.次に向けて出発しています
 教育の世界に、製薬会社と同じ役割を果たす仕組みは構築されていません。明日の教室に向けて教師を助けるのは「ネットワークによる授業案の共有」と「授業づくりを支える基礎研究」です。
 教師は皆、教材作成者であり授業実践者です。ゆえに、ネットワークをどのようにして構築していくのかを皆さんと共に考えていきたいと思うわけです。このことが「教科書から少し離れたエピソード」の共有につながると思うのです。
 「夏休み経済教室」が終わったその日から、次回の「経済教室」の企画がスタートしました。「この次は、自分が創った授業案を発表してみよう!」という思いを持って授業を実践してみてはどうでしょうか? そのアイディアが全国の授業を変えるかもしれません。
今月はここまでです。      
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【 5 】授業に役立つ本 
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 今月紹介する本は,シャリー・ティシュマン著 北垣憲仁 新藤浩伸訳『スロー・ルッキング よく見るためのレッスン』東京大学出版会 2025年 と 今野雅方 行方順之介『明日の君は、どこにいる? ヘーゲル先生の自己啓発の教室』青春出版社 2025年 の2冊です。

シャリー・ティシュマン著 北垣憲仁 新藤浩伸訳『スロー・ルッキング よく見るためのレッスン』東京大学出版会 2025年
① なぜこの本を選んだのか?
 教師として「主体的・対話的で深い学び」が大切だということはわかります。
 ところが、この「深い学び」がなかなか実現しません。「深い学び」を実現させるには時間がかかるからです。限られた授業時間の中で深く学ぶには,思い切った発想の転換が必要なのかもしれません。
 そこで「スロー・ルッキング」です。「ゆっくり見る時間なんてあるのかな?」と思われるかもしれません。しかし,本書は「深い学び」について教師が持つ考え方の角度を変えるヒントをくれるのではないかと思い選びました。

② どのような内容か?
1) シャリー・ティシュマン・・・?
 ティシュマンは教育研究者です。ハーバード大学教育学大学院で教えています。学習者が自分で考え、能動的に手と心を動かす学習アプローチについて研究しています。基本的なリテラシーを超えた思考様式に興味があるようです。

2)スロー・ルッキングとは何か?
 タイトルにある「スロー・ルッキング」というのは,時間をかけて丁寧に観察することをいうようです。美術館の絵を一つ選んでじっくりと時間をかけて見る、街をゆっくりと歩きながら見るといったイメージです。
 スピード感が要求される現代社会において、「ゆっくり」を重視するというのはどういうことなのでしょうか? 周囲を見ても、誰も「ゆっくり」なんて目指さないで効率を追求していると思うのですが。

3)世の中にある「スロー」
 ところが世界を見渡すと「ゆっくり」に注目した取り組みがけっこうあるのです。
 イタリアでは、マクドナルドのオープンに反対してスローフード運動が起こりました。教育の世界でもファストフード型教育に対抗してスロー・エデュケーションという取組みがあるそうです。人間ベースの報道を目指したスロー・ジャーナリズムも「ゆっくり」に注目した取り組みです。
 世界には、いろいろな「スロー」があるようです。きっと何かいいことがあるから「スロー」に注目したはずです。いったい「スロー」の何がいいのでしょうか?

4) 小学5年生が飽きることなく絵を見続けた・・・
 ある小学校5年生の授業実践です。
 先生が「これから30分、ある絵を見てもらいます」と指示しました。それを見ていた大人の参観者は「5年生の児童が一つの絵を30分も見続けるわけないだろう。すぐに飽きてしまう」と心配したそうです。
 ところが教師の明確な指示により、子どもたちは積極的に絵を見て発言していく過程が記述されています。「スロー」が持つ力を第1章から感じさせてくれました。

5) どうして飽きないのか?
 なぜ子どもたちは飽きることなく絵を見続けたのでしょうか? 教師の明確な指示と書きましたが、それだけで児童は「スロー」を受け入れるはずはありません。他にも理由があるはずです。
 本書は、若者がスローを受け入れた理由を四つあげた上で、世界中の若者が「スローに飢えている」と主張しています。この理由を踏まえて、再び教師が出した明確な指示に注目してみたいと思います。いったいどのような指示を出したのでしょうか?

6)どのような指示を出しているのか?
 本書では、学校の授業における教師の指示だけでなく博物館・美術館のガイドが来館者に向けて出す指示が具体的に記述されています。
 どれも読んでいるだけで「あー、これだったら長い時間ゆっくりと見ることができるし、見た後の充実した達成感も得られるな」と感じさせてくれるものです。
 例えば次は博物館の例です。「この絵の中で何が起きていますか?」、「何を見てそう思いましたか?」、「さらに何を見つけましたか?」、「気付くのに時間がかかった細かなところは何ですか?」といった質問をするのです。
 来館者は予備知識なしで推測を重ねてストーリーを構築していきます。その後にガイドさんは作品の説明をすることで適切な知識を共有していくのです。
 
7) これは経済教育に応用できそうだ
 本書で紹介されている実践は、私たちが経済を生徒に教えるときに活用できそうです。
これは単なる技術ではありません。長い歴史の中でたどり着いたひとつの通過点です。著者のティシュマンは、コメニウス、ルソー、ペスタロッチ、デューイの思想をあげて「スロー・ルッキング」の有効性を説明しています。
 なぜ教育史の偉人たちが登場したのでしょうか? それはこの思想家たちが「学校教育は、生徒が生まれながらに持っている、自分で物事を見ようとする興味を引き出し、それを伸ばすために組織されるべきだ」と考えていたからです。
 耳の痛い指摘ですが、教師がよかれと思って行っている指導が、児童・生徒の「自分で見たい」という心を抑える教え込み型授業になっていないかという指摘までありました。
  
8)克服しなければいけない課題があります
ここまで読み進めて、「よし!生徒の興味・関心を引き出す探究型の授業をやってみよう!」と前進しようとする教師にティシュマンは課題を提示します。
 その課題というのは「教師は探究型の授業を行う訓練を受けていない傾向にある」というものです。言われてみれば、腰を据えて探究型の授業づくりについてトレーニングを行ったという機会は少ないように思います。さあ、次の一歩をどう踏み出しますか?
 
9)一つのコツとして・・・
 その一歩目として、本書は生徒に批判的な思考を身につけさせるという設定で私たちにヒントを示してくれます。そのヒントは「広く適用できる批判的な思考を身につけさせるためには① 能力 ② 意欲 ③ 感受性」の三つが大切だというものです。
 能力・意欲・感受性か・・・とお読みいただいた読者の皆様。ティシュマンはこの三つの中で最も大切なものはどれでしょう?と問いかけています。どれだと思いますか?

10)本書の全体像
 本書の目次は次のとおりです。 
序文  
第1章 はじめに:スローということ  
第2章 見るための方策  
第3章 スローの実践  
第4章 見ることと記述すること  
第5章 博物館で見る、確かめる  
第6章 学校で見る  
第7章 科学のなかの「見る」  
第8章 スロー・ルッキングと複雑さ  
第9章 おわりに:スローから考える

③ どこが役に立つのか?
 主体的、対話的で深い学びを効率よくすすめたいのに、うまくいかないと悩んでいる先生にお勧めです。「深い学び」は時間がかかることが多いからです。
 しかし授業時数には限りがあるため「そんな時間はない」という声が聞こえてきそうです。そこで「スロー・ルッキング」です。授業のどの部分で深い学びを実現させたいのかということについて手がかりをつかんでいただければと思います。

④ 感 想
 授業者にとって、生徒の反応がない時の苦しさは思い出したくないものです。何とか生徒の心を動かそうと教材づくりを続けるのですが、アイディアがポンポンと出てくるわけでもありません。ところがこの『スロー・ルッキング』で紹介されている実践例は、すぐに教室に持って行きたくなるものが多いのです。教師と生徒がゆっくりと学ぶという行為。これも教師に必要とされているトレーニングの一つなのでしょうか。

■今野雅方 行方順之介『明日の君は、どこにいる? ヘーゲル先生の自己啓発の教室』青春出版社 2025年
① なぜこの本を選んだのか?
 理由は次の2点です。
 第1は、いくつかの書評欄で『その悩み、カントだったら、こう言うね』(晶文社2025)が取り上げられていたので、合わせてヘーゲルの本はいかがですか? と紹介できると思ったためです。
 第2は、著者の今野先生の不思議さに惹かれたからです。大学院でフランス文学を専攻し、ミュンヘン大学で教壇に立たれた先生は駿台予備学校の論文科講師でもあります。今野先生が難しい哲学の問題をどのように小学生や大人に教えるのかを皆さんと共有したいと思い選びました。

② どのような内容か?
1) 場面設定を紹介します
 舞台は古いマンションの一室です。ここにいるのが通称ヘーゲル先生。
 先生は、昔からいろいろな人に本の読み方や文章の書き方を教える私塾のようなものをやっています。
 登場するのは「自分の人生がこのままでいいのか」と迷いをもつ会社員、『星の王子さま』に惹かれてフランス文学を学んでいるものの、何をすればいいのか分からなくなってしまった大学2年生。アメリカに留学経験がある会社員、そして小学3年生の2人です。
 この登場人物がヘーゲル先生と夏目漱石、ホイジンガ、福沢諭吉、デカルト、ヘーゲル、プラトン、ドラッカー、ユング、エリクソンを読み解こうとするのです。どんなことになるやら、といった感じで物語は始まります。

2)今野先生と行方先生について
 今野先生は大学院でフランス文学を研究しました。ミュンヘン大学の講師を勤めたのちに駿台予備学校論文科講師として多くの受験生を指導します。そしてこの間、50年以上にわたってヘーゲル研究に取り組んできました。著書に『深く「読む」技術』(ちくま学芸文庫)があります。
 行方先生は大学で人工知能を学び、その後に建築の仕事をしています。予備校時代に今野先生と出会い、その後現在に至るまで教えを受け続けています。執筆活動もしており、本書が初の著作となります。

3) 迷えるサラリーマン、ヘーゲル先生を訪ねる
 迷えるサラリーマンが居酒屋で友人から起業の誘いを受けます。この突然の誘いを断るのですが、それでよかったのかと悩みます。そのときにふと頭に浮かんだのが、子どもの時に通っていたヘーゲル先生の存在です。
 ヘーゲル先生は、高校を卒業して以来、久しぶりに訪ねてきたサラリーマンの姿を見て、子どもだった時と同じように丁寧にお話を聞きます。そして「人生には山を登る人生と麓から眺める人生の二つがある」とお話を始めたのです。
 サラリーマンは「そんなことを言われても」と戸惑っていると、ヘーゲル先生は「どの山に登るか分からない時は、先人の肩を借りて世界を見るのがいい」と教えてくれました。古典との対話が始まります。

4) 対話というかおしゃべり
 山に登るためには、山までたどり着かなくてはなりません。それが自分の生きる道となります。どの道を進めばいいのでしょうか?
 ヘーゲル先生のところで学んでいる大学2年生とアメリカに留学経験がある会社員を対象にした授業が紹介されます。この日に学んでいるのはオランダの歴史家ホイジンガによる『中世の秋』という作品です。
 ホイジンガは、大学卒業後に、たまたま見つけた高校教師の募集に応募し教壇に立ちます。ところが高校教師のままでいいのかと悩む日がやってくるのです。自分の心が動いていないことに気付いた彼は「決死の大ジャンプ」をして歴史学の道に進むのでした。
 ホイジンガの書いた『中世の秋』は生き生きとした文章です。なぜならば編年体で書かれていないからです。
 ヘーゲル先生は、生徒たちに本をどのように読んだらいいのかを教えてくれます。本を読むときには「著者はなぜこう書いたのか?」を問いながら読むというのです。著者とおしゃべりをしながら読むのです。
 本の内容をそのまま理解しようとして読んでいると、書かれていることがまるで絶対的な真実のように感じられてしまい、独りよがりの解釈になってしまうというのです。 
 先人の肩を借りて生きる道を見るに当たっては、その先人の残した著書をそのまま理解するのではなく、対話しながら読み進める必要があるということのようです。

5)会社員にぴったりな人物発見
 冒頭の会社員にとって参考になる本として、デカルトの『方法序説』が紹介されます。
 デカルトは、子どもの頃から、本に書かれたものを勉強すればすべてのことが分かると言われて育てられたそうです。ところが大学を卒業したときに、この考え方は間違っていると気付きます。
 デカルトは、本に書かれていることではなく、自分で自分のことについて考えるという研究を開始するのです。本に書かれていないことを研究するのですからたいへんです。感覚に頼りたくなります。しかしデカルトはその感覚を破棄します。ほんの少しでも疑わしいものは破棄していくのです。
 ヘーゲル先生の導きに対して会社員は「どこがぴったりなのか?」と問いを持ったようです。自分には一つ一つを疑っている暇などないといった感じです。ヘーゲル先生はニヤッと笑って「一つ一つを現実との関わる中で確認すればいい」と言います。自分で感じ、自分で考え、自分の言葉を見つけるというのがコツだというのです。
 学校でたくさんの知識を暗記してテストでいい点を取っても、自分のコトバになっていない知識は使い物にならないということを言いたいようです。
 自分の人生に疑問を持った会社員は、ここまでの古典をどのように受け止めたのでしょうか? ヘーゲル先生は「自分ばかり見ていたら頭でっかちの考えになるから、現実との関わりの中で考えないとだめだよ」とアドバイスするのでした。

6) 大きな視野を持つのだ
 人生について考えていた会社員の悩みは、やがて恋愛相談に発展(?)していきます。真剣に相談する会社員に対してヘーゲル先生は「どうも君は自分ばかり見ているようだ。もっと大きな視野で捉えた方がいいのではないか」とアドバイスします。
 大きな視野の一つとして取り出したのが再び登場のヘーゲルです。「自分の人生はこのままでいいのか?」という疑問が近代以降に人間が抱くようになった問いだと前置きしてお話を始めます。
 今の君に必要なのは、悩んでばかりいないで、ヘーゲルのように誰かと向き合って、進んで対峙することだ。自分を知るには相手が必要なんだ、とヘーゲル先生は言うのでした。

7)自分と向き合うのだ
 相手と対峙する必要があると受け止めた会社員は、冒頭で起業を持ちかけた友人と対立してしまいます。それを聞いたヘーゲル先生は「君は勘違いをしている。相手と対立するのではなく、向き合うのは自分だ」と諭します。
 自分と向き合うというのはどういうことなのでしょう? ヘーゲル先生は慎重にお話をすすめます。なぜ慎重なのかというと、この会社員が抱えている悩みは、上手に整理すると、未来に向けての大きな可能性になるのですが、扱いに失敗すると木っ端微塵になってしまうと恐ろしいことを言うのです。
 このあとヘーゲル先生は、ソクラテスからはじまり、シカゴ大学の政治哲学者アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』を取り上げる壮大なお話を始めます。会社員は、無意識とはいえ、いかに友人に対して配慮のない言動をしてしまったのかに気付くのでした。

8) 友人を救い出せ!
 一連の授業で、会社員は「自分が持っている当たり前」と「他者が持っている当たり前」の存在に気付き始めます。自分自身の迷い、そしてその迷いの元となった友人との会話がきっかけで古典との対話はすすみます。
 ところがこのタイミングでたいへんなことが起きてしまいました。なんと起業を持ちかけてきた友人が怪しげな副業を始めてしまったのです。どうやって救い出すことができるのかをヘーゲル先生に相談することにしました。
 友人との適切な接し方を模索するために登場する人物はユングとエリクソンです。怪しげな商売をはじめた友人を救い出すためにとはいえ、少し大げさに感じるかもしれませんが、ヘーゲル先生の授業は、不自然さを感じさせません。
 そして、エリクソンのアイデンティティを『青年ルター』という著作で説明してくれるのです。エリクソンがルターに関心を持っていたことについて紹介者は知りませんでした。ヘーゲル先生は、エリクソンが書いたルターの生き方が、怪しげな商売を始めた友人を助けることにつながると考えて授業を進めるのです。

9)そして未来に
 読み進めるうちに、迷いのある会社員、フランス文学を学ぶ大学2年生、アメリカに留学経験がある会社員、そして小学3年生の2人が、いろいろなことを学んでいる様子が伝わってきます。
 読むこと、書くこと、考えることを書斎から持ってきた本をもとに教え諭す授業は今日も続いているように思えます。

10)本書の全体像
 本書の目次は次のとおりです。 
 はじめに 心の羅針盤の見つけ方
 序章 先生、僕の人生はこのままでいいでしょうか?
 1章 先人の肩を借りる
 2章 勉強すれば、すべてのことが分かる?
 3章 悩むくらいなら、進んで「対立」するんだ
 4章 信念がぐらつけば、人は真実を探ろうとする
 5章 新しい一歩は、自分に向き合うことからはじまる
 6章 自信を持って自分で決めるために必要なこと
 7章 人生の課題
 終章 それぞれのその後

③ どこが役に立つのか?
 夏目漱石、福沢諭吉、ヘーゲル、ホイジンガ、ユング、エリクソン、デカルト、ヘーゲルに関する知識の再構成ができます。ひとりの人間が様々な選択に迫られたとき、古典はどのようなメッセージを発信してくれるのかを追いかけることができます。
 また、ヘーゲル先生は、本と対話することを取り上げていますが、その中に「ダ・ヴィンチとおしゃべりしてみよう」といった絵と対話するところがあります。これは、今月紹介したもう一冊の『スロー・ルッキング』と通じるところがあります。同じようなことを主張している本が、同時期に出版されるというのは偶然ではないようです。

④ 感 想
 400ページ弱の本ですが、一気に読むことができます。難しい話しを、人に易しく伝えるという体験ができました。ヘーゲルに『イエスの生涯』、『キリスト教の精神とその運命』といった著作があることを知りませんでした(出版されなかったそうです)。
「さあ読むぞー」なんて気合いを入れなくても、どんどんページが進んでいきます。ラストの小学生による台詞が、爽やかな読後感を届けてくれました。
     (金子幹夫)
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【 6 】編集後記「~自己観照~」
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 ある屋外イベントでのことです。多くの人が、気温が40度近い直射日光のもとで長時間椅子に座り続けます。ほぼ無風状態のもとで、手に持っているのはうちわと冷凍ペットボトル。編集者が驚いたのは、この極限状態の中でカレーライスを食べている人が多かったことです。いろいろなお店が出店しているのに人々はカレーライスを選ぶのです。
 気になってAIにきいてみました。するとカレーの売上げは夏に増加するとのことでした。理由は暑さでスパイス需要が高まることとアウトドア料理に人気だからだそうです。
 これだけでカレー人気を説明できるのかな? と思いました。ちなみに私は、食べることも忘れて夢中になったまま一日を楽しく過ごしました。この屋外イベントは甲子園球場での高校野球です。
                      (金子幹夫)
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