reader reader先生
 何かいいことがありそうな2月を迎えました。
 国連が国民経済計算を3月に改訂するという報道がありました。
 買い物に行くと、お米の価格が上昇しています。キャベツが一つ千円で売られているというニュースにも驚きました。
 教師は、新しい情報を更新していくと同時に、世の中の動きについて「どうしてなんだろう?」「不思議だな?」と思う心も持たなければいけないとあらためて感じています。
 それではメルマガ2月号のスタートです。
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【今月の内容】
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【 1 】春の経済教室
 「先生のための春の経済教室」の紹介
【 2 】最新活動報告・・・1月の活動報告
【 3 】定例部会のご案内・情報紹介
 部会の案内、関連団体の活動、ネットワークに関連する情報などを紹介します。
【 4 】授業のヒント…授業のヒント…「捨てネタ」の効用⑮
【 5 】授業で役立つ本…今月も授業づくりのヒントになる本を2冊紹介します。
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【 1 】春の経済教室
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■先生のための春の経済教室を開催します
会場 : 慶應義塾大学三田キャンパス北館3階大会議室(先着50名)+オンライン(Zoom形式100名)
日時 : 2025 年3月29日(土) 13:00~17:00
内容:チラシをアップしています。ご覧ください。
  https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2025/01/2025HaruKeizaiFinal.pdf
お申し込みはこちら
  https://econ-edu.net/application/event-application/
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【 2 】最新活動報告・・・1月の活動報告
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■ 大阪(No.92)部会を開催しました。
  日時:2024年1月19日(土) 15時00分~17時00分
  場所: 同志社大学大阪サテライト
 (1)田中誠也氏(大阪教育大学付属池田中学校)から「金融リテラシーを育む経済学習-フィナンシャル・ウェルビーングをめざして-」と題する実践報告がありました。
(2)大塚雅之氏(大阪府立三国ヶ丘高校)から「令和7年大学共通テスト」の「公共・政治・経済」の問題を分析した結果報告がありました。
(3)阿部哲久氏(広島大学付属中学高等学校)から「税と保険の違いから社会保障制度を考える」と題する報告がありました。
 (4)李洪俊氏(大阪市立矢田南中学校)から高校入試問題の分析結果の資料が配付されました。
詳しい内容は
  https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2025/01/Osaka92report.pdf
をご覧ください。
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【 3 】定例部会のご案内・情報紹介
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■ 東京(No.143)部会を開催します
  日時:2月8日(土)18時00分?20時00分
  場所:お茶の水・連合会館202会議室(JR中央総武線お茶の水駅聖橋口下車5分)
+オンライン(Zoom形式)
     ハイブリッド形式でオンライン会議(Zoom)も併用する予定です
  申し込み方法:下記のフォームにご記入の上送信して下さい
     https://econ-edu.net/application/event-application/  
※ 会場はほぼ満席です。オンライン(Zoom)の申し込み受付中。

■ 大阪(No.93)部会を開催します
 日時:4月20日(日)15:00~17:00
 場所:同志社大学大阪サテライト(予定)
     対面のみ。
申し込み方法:下記のフォームにご記入の上送信して下さい
https://econ-edu.net/application/event-application/ 

■ 第75回ミニネタ研
 日時 3月23日(日)13:00~17:00
 会場 高津ガーデン (大阪上本町下車北東徒歩5分)
 詳細や申し込み方法は以下をご覧ください。
 https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2024/09/75thMiniNeta2025.pdf
     
■「会計」を通して社会の見方を育む社会科教員向けセミナー
(日本教育新聞社、日本公認会計士協会共催)
  日時:2月1日(土)13:00~ 札幌会場
     2月8日(土)13:00~ 大阪会場
     3月1日(土)13:00~ 福岡会場
開催の案内:https://www.kyoiku-press.com/kaikei_seminar2025/
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【 4 】授業のヒント 「捨てネタ」の効用 ⑮
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私ならこう教える ~貿易授業の本質~その2
執筆者 篠原総一
■先月のまとめ :
(1)エッセイの前半: 貿易授業の作り方
 「教科書の章立て、節立て」や「先生が作る授業計画」の中には、まだまだ改善の余地が残されています。私のようなエコノミストには、せっかく「いい事」を取り上げているのに、教えの順序と選んだ理論や実例が適切でないために、授業が生徒の「ホンマもんの理解」(ごめんなさい。京都ことばです)を引き出せていない、極端に言えば覚えるだけの学習に追いやっているのでは、と思える機会がよくあるということです。

その改善策として、私は授業のストーリー化が有効だと思っています。例えば貿易を扱う時間では、比較優位だ、国際収支表だ、為替レートだ、WTOだと、細かな項目をバラバラに見せていくのではなく、 (1) 自由貿易の意義、(2) 保護貿易の弊害、(3) 保護貿易弊害軽減の工夫、という3つのテーマ学習の場面を作り、場面ごとに教科書索引の項目などを当てはめていく、という物語り授業の提案です。

 以下は、私ならこう教えたい「貿易授業物語」の筋書きです。(この筋書きは、先月は具体的にお見せしていませんでした。)
第1幕 テーマ:貿易の意義
 なぜ、どの国も国内市場の範囲を超えて外国とも取引するのか。
 国際貿易は、国内の取引とどう違うのか。
第2幕 テーマ:保護貿易
 保護貿易のメリット:なぜ、どの国も貿易の邪魔をするのか、その理由は?
 保護貿易のデメリット:保護貿易は、各国経済に、どんな悪影響を与えるのか。
第3幕 テーマ:保護貿易の弊害から私たちの経済を守る方法
 過去の取組み:20世紀型保護貿易への対応の工夫(WTO、自由貿易圏、2国間協定など)
 現在の課題:米中摩擦、対ロシア経済制裁などの実際の保護貿易への対応を考える

そして、この流れ(=ストーリー)に沿って、それぞれのテーマの学びを確かにする小道具として、生徒が直感的に理解できるレベルの実例、データ、理論を当てはめていくという授業作りを薦めているのです。こうしておけば、どんな小道具(索引に出てくる項目)も、なぜそれを学ぶのか、学びの意味を取り違えないで済むからです。

ですから、このような物語授業を準備する上で大切なことは、第一に (1)私が提案した3つの幕の間には、国際収支だ、為替決定理論だといった異質の幕は挟まないこと(つまり、ストーリーの流れを止めないこと)、第二に (2)それぞれの幕で使う小道具は、生徒が肌感覚で納得できる実例や小話、理論に限る、という二点だと言えるのです。

さらに、あえて付け加えれば、第三に、(3)物語のハイライトは第2幕と3幕にやってくる、だから第1幕はそこへ向けての準備だと認識しておくことでしょうか。その意味では、第1幕で生徒を物語の流れに引き込もうとするわけですから、ここでいきなり生徒の興味を削ぐような抽象的すぎる理論の理解や複雑なデータ解釈は避け、できるだけ親近感の持てる素材を使いたいものです。

(2)エッセイの後半:第1幕の進め方(私の提案)
先月のエッセイの後半は、このような物語の第1幕「貿易の意義」の場面で使う素材の具体化でした。
■「貿易の意義」を肌感覚で理解させる3種類の授業法(再録)
 1「この品物が輸入できなかったらどんなに暮らしが不便になるか」といった生徒の直感に訴える例やデータを活用する。
ここでは概念は使わない。
 2 貿易のメリットを箇条書き風に整理し、生徒が分かりそうな実例をつける。
ここでは、貿易のメリットのリストは私のようなエコノミストが準備し、社会科の先
生方は、生徒に馴染みのある実例や例え話を用意する。
 3 新しい貿易理論のエッセンスを、生徒が直感でわかるように整理し直してみる。
ここではエコノミストが新しい貿易理論の概要を箇条書き風に整理し、その結果を先生方に提供する。先生方は、それを授業で使えるように再整理する。

そして、先月号では、この3つの授業法の最初の二つについては具体例をお見せしましたが、三番目の授業法については次号に譲ると予告しました。そこで、今月のエッセイの最後に、第3アプローチ(さまざまな貿易理論から、さまざまな「貿易をする意味」を拾い上げ、それを中高生の授業でも使えるように整理)した、私の作業の結果をまとめておきたいと思います。

■第3のアプローチ(外国と貿易する理由を「さまざまな貿易理論」から抽出する)
貿易理論は、リカードの比較優位説だけではありません。主なものだけでも、伝統的な貿易理論として、(1)絶対優位説(アダム・スミス)、(2)比較優位説(デイヴィッド・リカード)、(3)要素賦存説(ヘクシャー・オリーン=モデル)の3種類、それに伝統的貿易理論を補完する理論として、(4)新貿易論(ポール・クルグマン)、(5)新新貿易論(エドワード・メリッツ)の2種類の理論があります。

貿易は(貿易も)複雑で、極めて多面的な経済活動です。一方、経済学では、どの理論モデルでも、複雑な貿易現象の一つか二つの側面を説明するのが精一杯です。確かにリカードの比較優位説は、分業のメリットという基本中の基本を説明する理論モデルではありますが、貿易の全ての側面をカバーするほど万能ではありません。例えばスマホや自動車の貿易の意義を理解するために、リカードと同じ数値モデルを作れるでしょうか。答えはもちろん否です。なぜなら、スマホや自動車は、毛織物や葡萄酒とは異なる理由で国際間の取引が行われているからです。

そこで、以下では、経済教育におけるエコノミストの役割として、5つの代表的貿易理論が教えてくれる「貿易の理由」のさまざまを、中学生や高校生にも分かるように整理してみました。先生方は、以下で私がまとめたリストの中からいくつかを選び、生徒が肌感覚で納得できそうな実例と結びつけて授業の準備とされてはいかがでしょうか。その際、決して、「?の理論では、・・・・」という表記ではなく、「?の貿易のように、この国とあの国の間では?のような理由で貿易を行っている」といった表現が良いのではないかと思います。

■貿易の利益:代表的貿易理論が教える「貿易をする理由」(注*)
(1)国ごとの生産技術の違いが比較優位を生む(教科書にあるリカードの数値例モデルが示す通りです)。
(2)生産要素の存在量の違いが比較優位をうむ。広大な土地を利用できるカナダやアルゼンチンでは、日本と比べると、土地を多用する農産物の生産に比較優位があるが、逆に日本は技術や資本を多用する自動車や機械産業に比較優位を持つ。
(3)スマホや半導体のように、規模の経済性(生産量が増えるほど生産費用を下げることができるケース)を活かせる現代産業では、生産規模を大きくするほど安く供給できるため、規模の大きい企業が、さらに広い市場を求めて外国に進出する傾向がある。
(4)その結果、多くの産業で寡占化が進むが、同時に①スマホや半導体のように、寡占企業間の競争が、技術進歩や生産効率向上を刺激する、②スマホ、自動車、デザイナー製品のように、消費者にとっては、自国製品だけでなく外国製品も消費できる方が、つまり消費の選択肢が広がる方が、満足度が高くなる。
(5)半導体や大型電池、EV産業のように、企業の製品多様化が進むことで(各社ごとに似て非なる製品を作るので)、産業内の競争が活発化し、新規参入を促進する。
(6)日本企業が、生産コストの低いタイやインドネシアに生産拠点を移し、そこで生産した製品を日本市場でも販売するような「逆輸入」もある。
(7)また、近年は、企業が、製品の生産工程ごとに生産コストの低い国に部品生産を分散させるサプライチェーン方式を通した貿易も活発になっている。

■最後に
メルマガ「授業のヒント」コーナーは、今月で私の担当は終了、来月からはまた新しい書き手が登場します。わずか15回の連載でしたが、小難しい文章にお付き合いいただいたこと、感謝いたします。
とはいえ、私の貿易授業案も未完ですし、そのほかにも先生方にお伝えしたい授業ネタやメッセージを数多く抱えていますので、これからも不定期ではありますが、メルマガに教育エッセイを書いていきたいと思っています。これに懲りず今しばらくお付き合い程、お願いいたします。

(注*)「代表的貿易理論が教える「貿易をする理由」をまとめるに当たって、今回は
 伊藤萬里・田中鮎夢『現実からまなぶ国際経済学』(有斐閣、2023 年、pp.111~201)を利用しました。

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【 5 】授業に役立つ本 
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 今月紹介する本は,キャサリン・ホーリー著 稲岡大志 杉本俊介監訳『信頼と不信の哲学入門』岩波新書2024年と山本龍彦『アテンション・エコノミーのジレンマ<関心>を奪い合う世界に未来はあるか』KADOKAWA 2024年の2冊です。

■ キャサリン・ホーリー著 稲岡大志 杉本俊介監訳『信頼と不信の哲学入門』岩波新書2024年
① なぜこの本を選んだのか?
 年始めに経済教育ネットワークの先生方と話し合いをしていた時に本書が話題になりました。すると「私も読んだ」という声があがり、その場でネット注文するという光景を目にしたのです。
 紹介者は「本書は教師が読みたくなってしまう類いの本なのだ」と受け止めました。「春の経済教室」で出会った皆さんが本書の話題をきっかけに交流を深めていただければと思い選んでみました。

② どのような内容か?
(1)キャサリン・ホーリーとは?
 著者であるホーリーの専門は哲学です。オックスフォード大、ケンブリッジ大で学んだ後セント・アンドリュース大学教授をつとめました。

(2)なぜ教師が思わず読んでみたくなるのか?
 読者は、序文にある問いかけに惹かれるのではないかと受け止めました。
 朝、家族に入れてもらったコーヒーについて(まさかまずくないよね)。
 出勤するために車で送ってもらうことについて(当然安全運転ですよね)。
 配達された牛乳について(まさか期限切れではないよね)。
 何気なく飲む一杯の水について(浄水場の人はきちんと仕事していますよね)。
 顔見知りの人から、まったく会ったこともない人まで、私たちは無意識に多くの人を信頼しているようだという話題で本書は始まります。

(3)信頼、不信とはどのようなものなのでしょうか?
 そこでこの「信頼」というのはどういうものなのでしょうか?
 私たちは、ある人物を信頼するかどうか判断するときに、その人物が信頼に値する人なのかどうかを見きわめなければなりません。この時のことを本書では一貫して「コミットメント(あることを義務や責任が伴う形で引き受けること)」という用語で説明しています。信頼する側は、相手についてコミットメントを果たすであろうとあてにしているかどうかということです。

(4)信頼にはどのような特徴があるのでしょうか?
 「雇用主が従業員を監視しすぎると、従業員は自分が信頼されていないと感じて仕事ぶりが低下してしまう」という経済学者の指摘が取り上げられています。人が誰かを信頼すると、その信頼された人の行動にまで影響を及ぼすという特徴です。
 もう一つ。それは信頼が個人と個人の関係を超えて多くの人に影響を与えるというものです。はじめて訪れた街で地元に人に道を尋ねたときに、親切に教えてくれたとしたら、その好意がどのような影響を与えるのかという例が示されています。

(5)「信頼」は持続可能な社会の実現に貢献するのか?
 「信頼」について考えるために吸血コウモリの行動を取り上げているのには驚きました。
 続けてコンピュータ実験が紹介されています。実験には三種類のコンピュータが用いられています。①常に助けるという戦略をもっているもの。②決して助けないという戦略をもっているもの。③はじめは協力し、それから後は相手の手をそのまま真似するという戦略をもつものです。
 この③の戦略は、相手が協力すれば次の取引で協力し、相手が裏切れば次の取引で裏切り返します。また一度裏切ったとしても相手が再び協力してくれば協力し直すという戦略です(以下「しっぺ返し戦略」と表現します)。もっとも多くのポイントを獲得したのはどのコンピュータだったのでしょうか?
 次に人間について考察しています。話題は「共有地の悲劇」です。ある人間の集団が小さな池で魚を捕って生活しています。個々のプレイヤーが「他の人のことはどうでもよい。魚を捕りまくるのだ」という戦略を採用したらどうなるかという説明があります。
 この悲劇に関連して経済学者のエリノア・オストロムは、中央政府による規制も個人所有もなしに財産を地域で管理する研究でノーベル賞を受賞するのですが、このときに強調したメッセージは「信頼」だったと紹介しています。

(6)人間は無条件に「信頼」を最優先するのでしょうか?
 人はジレンマ状態になった時にどのような行動を選ぶのでしょうか。
 本書では「基本的な信頼ゲーム」や「最後通牒ゲーム」を取り上げて人間の行動について考察しています。最後通牒ゲームについては経済教育ネットワークホームページ内にある「https://econ-edu.net/2016/08/10/1810/」を参照してください。
 ゲームの結果として「ある人が他の人を信頼すれば、その人も信頼された人も両者とも利益を得ることができる」ことや「人々は自分の利益のように思われるものに常に従うとは限らない」といったことが紹介されています。
 この実験ではプレイヤー同士はコミットメントを交わしていません。人間社会における「信頼」について考えるためには、もう少し複雑な場面を考察する必要があるようです。

(7)専門家と私たちの間にある壁をどう捉えたらよいのでしょうか?
 その複雑な場面としてワクチンの問題、気候の問題、エネルギーの問題が取り上げられました。この問題を考えるために誰とコミットメントを交わすのでしょうか。
 その一人に専門家がいて、その知識を私たちに伝えるジャーナリストがいます。しかしジャーナリストは専門家ではありません。正確に物事を伝えているのか不安が残ります。
 そして専門家自身についても不安が残ります。現代の科学が巨大で多様なため専門家自身も自分の研究テーマ以外のことを詳しく知らないというケースがあるからです。
 科学者の義務は、専門的知識を私たちに伝えることです。私たちが信頼できる知識を得るための手助けをするべきだと主張しているのです。

(8)インターネットと信頼についてどう考えたらよいのか?
 相手を信頼することを考えるためには、いろいろな場面を想定する必要があります。直接会っての交流もあれば、ネットを通しての交流もあるからです。
 特に人間社会の複雑さは、インターネットの登場で格段に増大しました。本書では「ウィキペディア」、「出会い系サイト」、「カスタマーレビュー」を例に、インターネット社会における「信頼」について様々な問題をあげています。
 ウィキペディアについては、百科事典との比較が、出会い系サイトについては、身長・体重・年齢についてどのくらいの割合で参加者は嘘をついているのかが、カスタマーレビューについては、投稿者に共通して認識されている暗黙の規範が印象的です。

(9)個人間の信頼を捉える方法は個人と社会の信頼を捉える方法に使えるのでしょうか?
 ここまでいろいろな場面を想定してきましたが、そもそも信頼を捉える方法は個人間だけでなく個人と社会制度の間にも適用できるのでしょうか?
 もしも個人とシステムの間に信頼関係が構築できるのであれば、その力を社会制度全体(例えば国家観の対立や紛争等)に及ぼすことができるのかを検討します。
 本書はこのことについて明確な態度を示しています。

(10)本書の構成
 以上が本書の大きな流れです。この流れを一言で表した各章のタイトルを最後に紹介します。
 第1章 信頼とは何か、不信とは何か
 第2章 信頼と信頼性はどうして問題になるのか
 第3章 信頼と協力の進化――コウモリ、ハチ、チンパンジー
 第4章 金を持って逃げろ
 第5章 誠実と不誠実
 第6章 知識と専門知
 第7章 インターネット上の信頼
 第8章 制度・陰謀・国家
 結 論 信頼に値すること(信頼性)の重要性

③ どこが役に立つのか?
 教師が信頼しているものと生徒が信頼しているものの間にどのような差があるのでしょうか。そしてこの問いを考えるためにどのような枠組みが必要なのでしょうか。
 このつかみ所のない問題を考える手がかりが見えてきそうな1冊です。特に第4章で展開される「信頼ゲーム」についての記述、第7章におけるインターネット上の信頼は、現代の生徒像を推測するために大きなヒントを示しているのではないかと受け止めました。

④ 感 想
 読み進めていると、「経済を生徒にどう教えるのか」という問いと「現代の中高校生はどのような社会のなかで生きているのか」という問いを混在させながら解釈している自分に気がつきました。経済を教える教師目線で読むこともできますし、現代の教育問題を考えるという切り口で読むこともできる本です。多くの先生方から感想をうかがってみたいです。
       
■ 山本龍彦『アテンション・エコノミーのジレンマ<関心>を奪い合う世界に未来はあるか』KADOKAWA 2024年
① なぜこの本を選んだのか?
 本書を選んだ理由は次の2点です。
 第1は,今月紹介した『信頼と不信の哲学入門』の第7章を読み、ネット社会と「信頼」についてより一層知りたくなったからです。
 第2は,スマホから得られる情報が世の中の仕組みを理解するための最も有効な手段だと捉えている生徒に,どのように対応したらよいのか、その考え方の手掛かりを見つけたかったからです。

② どのような内容か?
(1)著者はどのような人?
 山本龍彦先生は憲法学が専門の慶應義塾大学大学院法務研究科教授です。
 アテンション・エコノミーは「関心経済」と訳します。YouTube、TikTokといったプラットフォーム企業のビジネスモデルを貨幣経済と区別するために用いる用語です。
 本書は、法学者の山本龍彦先生が、様々な人との対談を通して、このアテンション・エコノミーの正体を暴き、打ち勝つ方法を考え出そうとしています。

 (2)何を問題としているのか?
 本書は,私たちが受け止める情報について論じています。
 民放テレビは放送法による規律を受けたうえで真実を伝えます。民主主義の重要性も伝えています。
 一方のプラットフォームの無料サービスは、私たちのクリックを求めて情報を発信しています。いかに私たちの関心や時間を画面に留めておくことができるのかが勝負です。
 私たちはこれらの情報をどのように受け止めるのか?という問題が提起されています。

(3)インターネットの登場で言論空間はどのように変化したのか?
 文藝春秋社の新谷学さんとの対談では、インターネットの登場で、言論空間におけるルールが現実のものと乖離してしまったことやマスメディアの力が弱くなってしまったことが指摘されています。
 私たちは、巨大プラットフォーム企業が形成するシステムのもと、主体的な情報を摂取できなくなってしまいました。人々が主体的に情報を集められない社会で、民主主義はどうなってしまうのかが話されています。

(4)生徒たちはこの問題とどう関わっているのでしょうか?
 憲法学者の水谷瑛嗣郎さんとの対談では,プラットフォーム企業による「多くの人を長く、繰り返し訪れるようにしたい」という考え方(「ウェブの粘着性」)が紹介されています。
 ネット社会を訪れる人には、ウェブの粘着性について①気付いていない ②気付いているがどうしたらいいのかわからない ③長く繰り返しネットに関わることの何が悪いのかと思っている,という三つのパターンがあるそうです。
 無秩序な情報が氾濫している社会への対応策として国家による規制があります。日本はアメリカ型(国家は原則として情報空間に介入すべきではない)とヨーロッパ型(国家による適切な関与が必要だ)をどのように解釈しているのかが語られています。

(5)生徒が普段接している情報はどのようなものなのでしょうか?
 弁護士の森亮二さんとの対談では,新聞とグローバルプラットフォームの情報は何が異なるのかということについて話し合われています。
 新聞は報道価値を重視します。一方のグローバルプラットフォームは「いいね」をもらうことを目的としています。この両者が発信する情報の質はどこが異なるのでしょうか。
 グローバルプラットフォームの世界では、私たちの知らないところで一人ひとり異なるプロファイリングがつくられます。そこでは陰謀論に弱そうな人や衝動的な怒りに流されそうな人用のコンテンツがつくられ選挙に多大な影響を与えようとしているという例が挙げられています。
 グローバルプラットフォームの世界と民主主義の問題を考えたくなる対談です。

(6)デジタルプラットフォームで発信される情報の特徴は?
 株式会社電通デジタルの馬籠太郎さんとの対談では、デジタル広告と新聞広告とが比較されます。
 法学の世界では「広告」と「勧誘」は区別されたものでした。ところが今では多くの広告が「勧誘」のカテゴリーに吸収されているそうです。
 グローバルプラットフォームの世界では、一人ひとりのユーザーの好みは分析され,その好みに合わせた情報が配信されているからです。まさに勧誘です。
「情報的健康の考え方」をどのように意識しなければいけないのかという問題を考えたくなる対談です。

(7)情報発信者と私たちの間にどのような不均衡があるのか?
 「情報的健康の考え方」は,認知心理学者の下條信輔氏との対談につながります。
 昔は,自分で見たもの以外は信じるなという考え方がありましたが,今は自分で見たり聞いたりしたことも信じられない時代になっています。
 昔は,マスメディアが専門的な価値基準に基づいて、流すニュースを決めていました。今はプラットフォーム企業が多くのクリックを求めて流すニュースを決めています。
 昔は、事業者と消費者との間には「情報の非対称性」がありましたが,今は「認知の非対称性」を気にする必要があります。教師が形成している情報の枠組みと、生徒が形成している情報の枠組みとの間には齟齬が生じているようです。

(8)本当にネットニュースは悪者なのか?
 弁護士の結城東輝さんとの対談では、ネットニュースが話題になります。テーマは「民主主義の再考」です。
 中世から今日に至る過程で「人が情報を探す社会」から「情報が人を探す時代」に変わっていきました。世界は、お金を出して情報を得る少数の人と、無料で情報を得る多数の人で構成されるという現象が指摘されています。
 この現象の中で民主主義を考えるために、ハイブリッドという構想が語られています。

(9)民主主義は内破されるのか?
 文筆家の木澤佐登志さんとの対談では「アップル憲法、グーグル憲法」が登場します。私たちは特定の国家に属しているだけでなくプラットフォームの住民にもなっているというのです。
 問題なのは、社会の未来を決める大切な選挙の時にもアテンション・エコノミーの中にいるときと同じ思考・行動をとることだと指摘しています。
 時には「反射的」に判断し、ここは重要だという場面では「熟考」して判断するというけじめがあることで民主主義は支えられているという話がありました。
 プラットフォームの存在を知った上で、なぜ日本は間接民主制を採用しているのか? なぜ裁判官は選挙で選ばれないのか?についての説明を読むと重みが増してきます。

(10)構 成
 以上が本書の大きな流れです。この流れを一言で表した各章のタイトルを最後に紹介します。
 第1章 変容する言論空間
 第2章 個人情報と広告
 第3章 認知の仕組みと自己決定
 第4章 生成AIがもたらすもの
 第5章 民主主義の再考
 第6章 ネット空間の行く末

③ どこが役に立つのか?
 教師の多くは「情報を探す社会」で生きてきました。一方で多くの生徒は「情報が人を探す社会」で生きています。しかも生徒自身は自分で情報を探していると思い込んでいるようです。
 この両者が混在している教室の全体像を見渡すことができました。教師の持つ情報社会観と生徒が持つ情報社会観の齟齬を認識できる意義は大きいと思います。 

④ 感 想
 ネット上のショート動画とNHK教育テレビの幼児向け番組の構成が同じだという指摘に驚きました。つながりのない短い動画を連続して見ていると、時間の経過を忘れてしまうことを生徒たちは再び経験しているのだとわかりました。
 授業やテレビ、映画といったある程度長い時間でメッセージを相手に伝えることが難しい時代に、私たちは何ができるのでしょうか。「印刷→放送→インターネット→AI」と技術は進歩してきましたが、今、大きな曲がり角に直面していると感じました。
                                (金子)
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【 6 】編集後記「~自己観照~」
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  映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、1980年代において、いろいろな未来を私たちに見せてくれました。テレビ会議、指紋認証、モバイル決済、ウェアラブル端末のようなもの、空を飛ぶ自動車をみてワクワクしていたことを思い出します。
 今月紹介した『アテンション・エコノミーのジレンマ』にドラえもんが登場します。もしかしたら「ドラえもん」の作者は,生成AIの登場を予想し、その先にある未来を先取りして私たちに見せたいと考えていたのかもしれないと想像しました。
 近い将来、ネコ型生成AIと共に暮らす世界が来るのかもしれません。私はイヌ型生成AIとお話ししてみたいです。                (金子幹夫)
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