reader reader先生

 何かいいことがありそうな12月を迎えました。
 クリスマスケーキのチラシが少しずつ増えてきました。
 さて、クリスマスケーキと聞いて皆さんは何を連想しますか?
 イチゴ? ロウソク? サンタクロース? アルバイト時代の思い出?
 授業づくりが頭から離れない方はコンセンサスゲームでしょうか?
 ケーキと飲み物を傍らに、ここからゆっくりお読みいただけましたらうれしいです。
 それではメルマガ12月号のスタートです。
────────────────────────────────────────
【今月の内容】
────────────────────────────────────────
【 1 】最新活動報告
 2024年11月の活動報告です。
【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
 部会の案内、関連団体の活動、ネットワークに関連する情報などを紹介します。
【 3 】授業のヒント…教科書を比較読みしよう~「見えざる手」「自由放任」を漂流させたのは誰か?~
【 4 】授業で役立つ本…今月も授業づくりのヒントになる本を2冊紹介します。
────────────────────────────────────────
【 1 】最新活動報告
────────────────────────────────────────
■ 空港と教育のコラボ シンポジウムを開催しました。
日時:2024年11月9日(土)13:30~16:30
会場:新千歳空港国際線ポルトムホール メインホール
 詳しい内容は 
   https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2024/11/2024SapporoSymposiumR.pdf
                          をご覧ください。
■ 東京(No.142)部会を開催しました。
 日時:2024年11月15日(金) 19時00分~21時00分
 場所: 慶應義塾大学三田キャンパス 東館4階オープンラボ +オンライン(Zoom形式)
(1)市川慶太先生(さいたま市立白幡中学校)から「中三卒業前の金融経済教育の実践」の報告がありました。
 中学校3年生の「公民」科授業についての報告です。中学生が、家族とお金について話す機会が増えるようなことをねらいとした授業報告です。
(2)梅林知輝先生(東京都立秋留台高等学校)から「エンカレッジスクールにおける経済分野に関する授業実践」がありました。
 7割以上の生徒がバイトをしているという状況における3年「政・経」の社会保障制度、2年「公共」の労働(働き方改革)、消費者問題(契約)についての授業実践報告です。
(3)杉田孝之先生(千葉県立津田沼高等学校)から「札幌シンポジウムの報告」がありました。
 11月9日に札幌で行われた空港を教材とする授業のシンポジウムについての概括的な報告です。
 詳しい内容は 
   https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2024/11/tokyo142reportHybrid.pdf
                          をご覧ください。
────────────────────────────────────────
【 2 】定例部会のご案内・情報紹介
────────────────────────────────────────
■ 大阪(No.92)部会を開催します。
  日時:2024年1月19日(土) 15時00分~17時00分
  場所: 同志社大学大阪サテライト 対面形式にて行います
開催の案内:https://econ-edu.net/wp-content/uploads/2023/10/Osaka92flyer.pdf
申し込み方法:下記のフォームにご記入の上送信して下さい
https://econ-edu.net/application/event-application/
────────────────────────────────────────
【 3 】授業のヒント
────────────────────────────────────────
 篠原先生の連載が、今月はご都合が悪く休載となりました。
 そこで今月は新井明先生に登場していただきました。
教科書を比較読みしよう~「見えざる手」「自由放任」を漂流させたのは誰か?~
執筆者 新井 明
1 そもそものきっかけ
来春の経済教室では、東京大学の松島斉先生の『サステナビリティの経済哲学』をベースとした講演と授業実践の報告を予定しています。その予習として岩波新書の本を読んでいて、ひっかかったところがありました。それがスミスの評価です。
 『サステナビリティの経済哲学』では、第1章に「見えざる手をこえる」という節があり、最後の第5章には「スミスの共感」という節があり、最初と最後にスミスを扱っています。このなかでスミスには厳しい評価を下して、「市場主義イデオロギー」の源流として位置づけられています。たしかにそういう面はあるけれど、スミスには厳しすぎるのではというのが筆者の感想でした。また、松島先生のスミス理解は、これまでの教育、特に高校での教育の影響を受けているからなのかもしれないという疑問も浮かびました。
 ここから、筆者のスミス・リサーチが始まりました。

2 経済学者の教科書批判
 実は、スミスを、『国富論』、利己的個人、見えざる手=市場メカニズム、自由放任、小さな政府という流れで評価するというのは、高校教科書ではこれまでずっと書かれていて、それがスミスへの「誤解」のもとであり、理解不足のもとであるという指摘が以前からありました。
 例えば、戦前からのスミス研究者の故高島善哉氏は1968年の著『アダム・スミス』(岩波新書)という本で、次のように言っています。
 
アダムといえば『国富論』、スミスといえば自由放任主義といった○×式の教え方や受け取り方はまっぴら御免である。…私はためしに現在広く使われている世界史と倫理・社会の教科書を一つ二つ調べてみた。案じたとおり、スミスは自由放任主義の大御所となっている。遺憾というよりあきれるほかない。(同書、p6)
 最近では、根井雅弘氏が多くの自著でスミス=見えざる手=自由放任主義という理解の批判を続けています。そのうちの一冊、2019年刊行の『ものがたりで学ぶ経済学入門』(中央経済社)からあげてみます。
  高校の「政治・経済」の教科書では、スミスは、政府に国防や治安維持などの必要最小限の役割しか認めない「夜警国家」観に基づいて、政府が経済活動に介入することを排した「自由放任主義」(レッセ=フェール)を説いた、というようなことが書かれていた。スミスの「見えざる手」という言葉も、自由放任主義を象徴する言葉として紹介されていた…(同書p18)…スミスの思想を自由放任主義と割り切るのは、著しい「矮小化」だと思うよ。(同p24)
 
大竹文雄先生も、教科書のスミス記述を批判されています。そのうちの一冊、2024年6月に刊行された『いますぐできる実践行動経済学』(東京書籍)から引用します。
  大竹:…高校の政治経済の教科書にも掲載されている有名な著書『国富論』で、アダ      ム・スミスは何を主張したのでしょうか。
  生徒:「自由放任」にすれば世の中はうまくゆくということです。
  大竹:そうですね。一般に知られているのは、市場での競争によって「見えざる手」に導かれてものやサービスが人々のもとに行きわたり、みんなが豊かになるということです。実際、高校の教科書にも、競争が機能して世の中はうまくゆくというようなことが書いてあるはずです。アダム・スミスは「小さな国家」を主張したとか、当時支配的だった地主階級ではなく資本家(企業家)の利害を代弁したとかいうことを書いてある教科書もあります。しかし、実は、アダム・スミスは世の中に「独占」が起こっていると言うことを強く批判したのです。…(同書p18~20)
 どうも、昔から現在まで、教科書のスミス記述には問題があり、それを内面化してしまったスミス理解にはかなりの誤解があると経済学者は考えているようです。
3 まずは教科書を比較して読んで見よう
 教科書を使う側から言えば、検定教科書なんだから、正確でなければ困るということになります。また、入試問題は教科書から作成されますから、教科書の記述が経済学者の理解と齟齬をおこしているとなるとどうにかしてくれと言うことになります。
 また、こんな昔から指摘があるのに、それがどうなっているか、もし修正されていないとするとその理由や背景を捜さなければいけなくなりそうです。
 今回は、そのうち後者の当の教科書の記述が現在どうなっているかを比較して検討してみようと思います。ちょっとひねって、今の教科書はこんな記述がされているよという原文を紹介して、それがどの会社のものかをクイズ形式であててもらおうというしかけにしてみました。
 「公共」は数が多すぎるので、「政治・経済」と「倫理」の両方を出している会社の本をとりあげてみます。なお、A社からE社は、東京書籍、第一学習社、実教出版、清水書院、数研出版のいずれかの社です。また、本文から本稿に関連するスミスの部分を抜き書きしています。
○A社「政治・経済」
・スミスは…、分業によって多様化する生産活動は市場という「見えざる手」によって調整されるため、自分の利益を求める自由こそが調和的な社会を達成するとされた。

○A社「倫理」
・スミスは『国富論』において、個人の幸福の追求が神の「見えざる手」に導かれ、社会に幸福をもたらすことを主張した。
・スミスは『道徳感情論』において、道徳の原理は「公正な観察者」の視点からの共感にあると説いた。

○B社「政治・経済」
・…重商主義政策を批判し、各人が自由な経済活動を行えば、神の「見えざる手」によって社会の調和が生まれると説いた。…スミスの国家観は夜警国家観とも呼ばれ、「安価な政府」(小さな政府、消極国家)が理想とされた。また、政府は民間の経済活動に保護も干渉もせず、自由放任(レッセフェール)を取ることが最良とされた。

○B社「倫理」
・18世紀後半の産業革命期のイギリスでは、自由放任(レッセフェール)の思想がひろまっていた。その代表者とみなされたのはアダム・スミスである。彼は自由な経済活動が神の「見えざる手」によって社会の富へ導かれると主張したからである。ただし、スミスは厳密な意味で自由放任主義者であったわけではない。彼は自由競争に対して「正義の法を犯さない限り」という制限を付けるのを忘れなかった。

○C社「政治・経済」
・スミスは…私利、私欲を追求する個人や企業の経済活動は社会の秩序を損なうどころか、かえって「見えざる手」に導かれて公共の利益を促進し(予定調和)、市場での取引は遠方の見知らぬ人々を結びつけ、地域共同体を超えた「大きな社会」をつくりあげる事を可能にすると説いた。
・市場に対して大きな信頼をおいたスミスは、国家の市場への介入を最少にし、国家のなすべき義務は国防、司法、公共事業の三つに過ぎないと論じた。このようなスミスの国家観はのちに、「夜警国家」「小さな政府」などとよばれ、19世紀における資本主義の基本的な国家観となった。

○C社「倫理」
・…アダム・スミスによれば、交換をするという自然な傾向性に導かれて、人々は労働とその成果を交換し、その結果、市場が生まれ、商品が適切な価格で取引されるようになり、生活改善に役立つ秩序が形成されるという。私益の自由な追求が社会一般の利益を生む様子を、スミスは「見えざる手」に導かれてと描いている。
・アダム・スミスは各人の私益の追求は、神の「見えざる手」に導かれ社会全体の利益を増進すると考えた。これはスミスが人間の共感能力を高く評価した結果であり、…

○D社「政治・経済」
・アダム・スミスは市場での自由競争によって経済が調整され、結果的に社会の富が増えてゆく機能を神の「見えざる手」と表現した。…こうした自由放任主義(レッセフェール)や「小さな政府」の考え方は、19世紀における資本主義の基本原理となった。

○D社「倫理」
・アダム・スミスは個人の経済的な自由を主張した。そのうえて、個人の利益と社会の利益の調和を唱えた。個人が自分の利益を自由に追求すれば、意図しない結果として社会の利益は増大する。スミスは、このことを「見えざる手」と表現した。ここから「自由放任(レッセフェール)」を唱える経済的自由主義が生まれた。ただし、スミス自身は自由放任を唱えたわけでなく、個人は法の範囲内で自分の利益を追求すべきと考えられ、そして人間は第三者(公平な観察者)からの共感を求めて、自己を批判するようになると論じた。

○E社「政治・経済」
・アダム・スミスは『国富論』で人々が利己心に基づいてみずからの利益を追求しても、市場価格が「見えざる手」となって需要と供給を調整し、結果的に社会全体にとってプラスとなることを主張した。彼の考え方によれば、国家の役割は個人や企業が自由に追求できるような環境を整えることだけに限られる。このような国家観は「夜警国家」や「小さな政府(安価な政府)」などとよばれている。

○E社「倫理」
・18世紀後半、産業革命をなしとげたイギリスでは、自由競争に基づく資本主義が急速に発展した。そこでは各人が自由に自分の利益を追求すれば、あたかも神の「見えざる手」が働いているように、結果的に社会全体の利益(公益)が増大していくという考え方受け入れられるようになった。この考え方によれば、国家の役割は個人や企業が自由に利益を追求できるような環境を整えることに限られる。自由競争によって、社会全体に自ずから秩序が生まれ、富が蓄積されていくのである。

4 「見えざる手」「自由放任」を一人歩きさせた「犯人」は?
 ここまでの教科書の比較読みから何がわかるのでしょうか。
 一つは、会社によって記述がかなり違うということです。もう一つは、「政治・経済」と「倫理」での書き方が違う会社があるということです。また、経済学者の教科書は間違ったことを教えているぞという批判に対する改善は微妙というところでしょう。
 ちなみに、『国富論』では「見えざる手」が登場するのは一カ所だけ、「自由放任(レッセフェール)」という言葉は一カ所も使っていません。それが今回紹介された教科書にどう反映されているか、いないかも注目してほしいところです。
 ここまでの紹介から浮かび上がる問題は二つです。これらの現在の教科書で学んだ生徒は、どんなスミス像を描くだろうかという問題です。もう一つは、教科書の記述の背景にある、スミス理解の変遷をたどる必要があるのではという問題です。
 前者は、これから数年後、場合によっては数十年後に出てくるでしょう。従来のスミス理解がどこまで変化するかです。
 後者は、背景へのリサーチ、推理小説風に言えば「犯人」さがしになります。それには、スミス以降の西洋思想史への理解が必要になります。日本にスミスが紹介されてどのように受容されたか、「誤解」されたかも調べてみる必要があります。教科書で言えば、これまでどんなスミスが紹介されてきたのかのリサーチももとめられるでしょう。
 この小文ではとてもそんなことまではできませんし、それが授業にどう役立つのという疑問を投げかけられそうです。
 それでも、こんな疑問に答えてみようとするのは、時間がたっぷりあるリタイア人間である筆者にぴったりなのかもしれません。調べはじめて、何人かの「犯人」が浮かびましたが、実証するには素人探偵の筆者ではまだ無理かというところです。

 今回、松島先生のご本のスミス像から派生して、どうやらとんでもない問題意識をかかえてしまったようです。今回はその序説の序説ということで書かせていただきました。申し訳ありませんが、クイズの解答はいたしません。高校なら中学校とちがって見本本がごろごろしていると思います。ぜひ、記述がどこの社なのか、探してみてください。
 スミス以外にも似たような「誤解」が書かれている人物がいたり、出来事があったりするかもしれません。そんな人物や事項の教科書の記述に着目することで、授業の内容が改善されてゆくヒントが得られるかもしれません。
────────────────────────────────────────
【 4 】授業に役立つ本 
────────────────────────────────────────
今月も2冊の本を紹介します。
1冊目は, 川越敏司『行動経済学の真実』集英社新書 2024年
2冊目は,松沢裕作『歴史学はこう考える』ちくま新書 2024年です。
■川越敏司『行動経済学の真実』集英社新書 2024年
① なぜこの本を選んだのか?
 2024年7月に大竹文雄先生の『いますぐできる実践行動経済学: ナッジを使ってよりよい意思決定を実現』を紹介しました。今回紹介する川越敏司先生は、大竹先生が顧問をされている行動経済学会の会長であることを本書の奥付で知りました。
 学問の世界で行動経済学は何が明らかになっていて、どのような課題があるのか?そして授業に活かすことができる部分があるのかを知りたくて本書を選びました。

② どのような内容か?
「はじめに」は次のように展開します。
 第1に、本書は行動経済学の中心理論であるプロスペクト理論を対象にした研究を再検討することが示されます。
 第2に、行動経済学に投げかけられた2つの疑問点が示されます。ひとつめは再現性があるのかどうかということ,ふたつめはナッジの効果についてです
 いったいプロスペクト理論とはどのような理論なのでしょうか?ナッジについてどのような説明があるのでしょうか?第1章を読み進めることにします。
 第1章は行動経済学は科学的か?です。次のように展開します。
 第1は,川越先生がある教授と話をしていたエピソードからはじまります。
 そのある教授が、行動経済学の中心的な理論であるプロスペクト理論は、実は何も説明できない理論ではないかと指摘したのです。理由は、参照点(ここでは損得の判断を分ける基準点と解釈しました)次第でどんなことでも説明できるからというものでした。
 第2は、このエピソードを受けて科学と非科学をどのように分けることができるのかを考えはじめます。科学的な理論ならば「反証可能かどうかが基準」になるというのです。
 第3として、ようやくここでプロスペクト理論は「人は得する場面と損失場面とでは選択する行動が異なる」ことが説明されています。
 第4は、このプロスペクト理論が反証可能かどうかを検討し、その結果を整理しています。
 第2章は「何が利益と損失の違いを決めるのか?」です。次のように展開します。
 第1は、参照点がどのようにして決まるのかという話題からはじまります。現在、主流の「期待に基づく参照点」という概念について説明しています。いったいどのような概念なのでしょうか?
 第2は、この「期待に基づく参照点」について『新約聖書』にある「マタイによる福音書」を用いて説明してくれます。この例は授業で用いると生徒はいろいろと発言してくれそうです。
 第3は、人々が抱く参照点について実験室実験で行われた検証結果を取り上げています。伝統的経済学の考え方とどのように異なるのかが示されて興味深いところなのですが、再現性のなさが指摘され「期待に基づく参照点」という考え方には限界があるとの結論に至ります。ここでの記述から実験の難しさが伝わってきます。
 第4は、フィールドでの検証について取り上げています。実験室ではなく、実際の生活場面で人間の行動をどのようにとらえているのでしょうか。
 第3章は「一度手にしたものは手放すのが惜しくなる?――保有効果」です。
 次のような展開で話が進んでいきます。
 第1は、人が一度手に入れたものは、たとえ価値が小さいものであっても手放したくないという心理が働く保有効果は伝統的な経済学の視点で捉えると矛盾が生じるという理由について説明しています。
 第2は、この保有効果についてプロスペクト理論で考えると合理的に説明できることを示しています。しかし、いざフィールドで実験をしてみると再現性がないことがわかってしまうのです。
 第3は、なぜ実験で理論通りの結果が得られないのかについて2つの仮説を立てて検討を進めています。この仮説は、取引をする人の知識や経験が十分なのかどうかというところに注目して立てたものです。
 第4章は「損失は利益よりも重要視される?」です。
 次のような展開で話が進んでいきます。
 第1は、プロスペクト理論にある損失回避についてタイガー・ウッズのエピソードを用いて説明しています。
 第2は、サッカーワールドカップの勝ち点を例に挙げながらプロスペクト理論の損失回避性について説明しています。
 第3は、大学生のように若くて経験や知識が相対的に乏しい人と、そうでない人とでは損失回避に関する実験結果は異なるのかという視点で分析しています。
 第5章は「ものは言いよう? フレーミング効果」です。
次のような展開で話が進んでいきます。
 第1は、表現の違いだけで人の選択や判断が変わるというフレーミング効果を示す実験があげられています。
 第2は、実験をしていく中で,同じ内容を表した文でも記述次第で被験者の好みが変化することをどう考えるのかという問題を考えます。
 第3は、この問題がプロスペクト理論で合理的に説明できると展開します。
 第4は、この説明が本当かどうかを確かめようとした実験が紹介されています。
 
 おわりにでは「行動経済学は信用できるのか?」というテーマでまとめています。
 第1は、プロスペクト理論を検証するための決定的な証拠が得られたかどうかが述べられています。
 第2に、プロスペクト理論と、そこから導かれる仮説は経済学に充実した研究課題をもたらしていることが示されています。
 第3は、行動経済学というのは,決して人間の判断や決定の不合理性を示す理論でないことが強調されています。

③ どこが役に立つのか?
 第1に、行動経済学が経済学の中でどのような位置を占めているのかを感じ取ることができます。 
 第2は、紹介されている様々な実験を授業の中で活用することができそうだということです。
 第3は、豊富なエピソードが紹介されていることです。ワールドカップやゴルフを取り上げた話しは授業で活用することができそうです。
 第4に、本書は、経済を教えるということは、ものすごく複雑な人間の行動を考えなくてはいけないということを感じさせてくれます。この感覚を感じ取れたことは、授業づくりに役立てることができるのではないかということをあげたいと思います。

④ 感 想
 本書は、最初から最後まで行動経済学の中心的な理論であるプロスペクト理論について論じているという点で読みやすさを感じました。テーマを拡散させることなく、一つの中心課題で貫き通した記述は、授業案を作成する者にとって多くのヒントを提供してくれると思います。
 説明するというのはどういうことなのか。検証するというのはどういうことなのかを取り上げながら記述しているところが印象に残りました。

■ 松沢裕作『歴史学はこう考える』ちくま新書 2024年
① なぜこの本を選んだのか?
 本書を選んだ理由は次の2点です。
 第1の理由は、学問の枠組みに関することです。執筆者の松沢先生は文学部で歴史学を学んだ研究者ですが、経済学部に勤務しています。その勤務先で、研究の正当性を担保するための手続きが経済学者や政治学者と異なるという問題に直面したと書いてあります。いったいどのようなことが起こったのかを知りたくなったのです。
 第2の理由は、本書のタイトルに「歴史学」とあるにもかかわらず、経済的分野の記述がたくさんあることが挙げられます。経済学者の書いた論文の分析もあります。社会科を教える教師にとっては、興味深い題材がたくさん書かれています。

② どのような内容か?
 第1章は「歴史家にとって『史料』とは何か」です。
 次のように展開します。
 第1は、歴史家はどのような仕事をする専門家なのかを示します。情報と情報を組み合わせるという独特の表現で説明しています。
 第2は、資料と史料の違いを示した上で、史料を読むという特殊な仕事を始めた人物であるレオポルト・フォン・ランケ(19世紀ドイツの歴史学者)を紹介します。信頼できる記録を使って書くこと、そしてその書くことについて目的がなくてもよいということについて具体例を示しながら説明しています。
 第2章は「史料はどのように読めているか」です。
次のように展開します。
 第1は、歴史家が研究をする際に史料をどのように読み、そこから何を読み取り理解したのかを書くという手順を紹介します。本文の中では引用と敷衍という言葉を用いて仕事の内側を教えてくれます。歴史の教師にこのことを伝えたら「その通り」と教えてくれました。
 第2は、史料として新聞記事をどのように研究に用いるのかを説明します。歴史家は、記事に書いてあることが実際にあったのかどうかという視点で史料としての新聞記事を見ているのではないことがわかります。
 第3章は「論文はどのように組み立てられているか(1)」です。
 次のように展開します。
 第1に歴史家がおこなう研究は『独立変数のみを変化させたときに起こる変化を観察する』というものだけではないことが示されます。
 第2に高橋秀直先生の「征韓論政変の政治過程」という論文を取り上げます。高橋先生は日清戦争の研究や幕末維新期の政治史研究で知られる京都大学文学部の研究者です。
 第3は、本論文が「史料引用前置き+史料引用+敷衍」という文字史料を扱うときの定型的なセット」で構成されていることを示します。
 第4章は「論文はどのように組み立てられているか(2)――経済史の論文の例」です。
 次のように展開します。
 第1に、本章は1963年に発表された石井寬治「座繰製糸業の発展過程-日本産業革命の一断面」を取り上げるところからはじまります。この論文の主題は、明治期日本における製糸業の生産形態が、資本家が工場で労働者に生産させているような形態を含んでいたかどうかという点にあります。
 第2に、石井論文が1950年代から70年代にかけて採用されていた日本経済史の標準的方法とは異なるタイプの研究をしたことが述べられています。この標準的方法というのは、『いつでも・どこでも』当てはまる知識を追求するタイプのものだそうです。
 第3に、この研究が江戸時代末から明治期に行われていた生産方式である「座繰製糸」というものを対象にし、先行研究の問題点である「座繰の『大工場』など存在しなかった」ことを明らかにしていく過程を紹介しています。
 日本経済の歴史について授業案を創る際に取り入れたい知識が盛りだくさんの章です。
 第5章は「論文はどのように組み立てられているか(3)― 社会史の論文の例」です。
 次のように展開します。
 第1は、著名でない人々の集団的な行動に注目するタイプの研究である、1992年に発表された鶴巻孝雄「民衆運動の社会的願望」を取り上げることを示します。内容は、松方デフレがどのような問題を起こしたのかということを題材にしたものです。
 第2は、経済史の論文と社会史の論文とでは、問いの立て方がどのように異なるのかを示しています。その際に、第4章で取り上げた経済史の論文と第5章が取り上げている社会史の論文を比較しながら記述しています。
 第6章は「上からの近代・下からの近代」です。
 次のように展開します。
 この章では、必ずしも史料に根拠があるわけではない「歴史についての考え方」との付き合い方を「近代」という時代の取り扱い方を例に紹介しています。「日本史」の授業で使われる古代、中世、近世、近代がどのようにして使われるようになったのかを知ることができました。

③ どこが役に立つのか?
 同じ歴史でも歴史学者が書く歴史、政治学者が書く歴史(政治史)、経済学者が書く歴史(経済史)は枠組みが異なることが伝わってきます。「公民科」の教科書記述は、多くの学問により成り立っています。その一つひとつ学問は枠組みが異なっていることを自覚した上で授業案を創る必要があるということを感じさせてくれる一冊です。

④ 感 想
 舞台裏を描いた記述は魅力的です。
 本コーナーの10月号で紹介した根井雅弘先生による『経済学者の勉強術』は経済学者の作法を感じ取ることができました。本書は、松沢先生が抱いている迷いが前面に出され、どのように考えてきたのかという経過が示されています。教科書記述の背景にある世界を感じ取ることができた一冊でした。地理歴史科の先生に読後の感想をうかがってみたいです。
────────────────────────────────────────
【 5 】編集後記「~自己観照~」
────────────────────────────────────────
駅前広場で学生さんの合唱が聞こえてきました。
大きなクリスマスツリーはピカピカ光り、大きな雪だるまもこちらを見ていました。
 合唱の迫力ある音量は多くの人の心を捉えています。会場全体が年末を感じさせてくれるものになっています。
 ただ一つ「?」と感じたのは、観客の大多数が半袖姿で、片手にうちわをパタパタさせているところです。中にはソフトクリームを食べている人もいました。もしかしたらアイスコーヒーを飲みながら12月の定期試験問題を作成している先生もいるのかなと想像しました。さくらは4月に咲いてくれるでしょうか?
 暑くても、寒くても、本メルマガは授業づくりに邁進していきます。(金子)

Email Marketing Powered by MailPoet